絵を描くプロじゃなくても、楽器が弾けなくても、文章が書けなくても。
創造性は、誰の中にもあります。
料理をちょっと工夫する。部屋の模様替えをする。写真を撮る。日記を書く。編み物をする。
そういう日常の中の「つくる」「工夫する」という行為が、実は心身の健康につながっている。
そんな考え方が注目されています。
クリエイティブヘルス(Creative Health)といいます。
クリエイティブヘルスとは
定義
クリエイティブヘルスは、創造的な活動を通じて、健康やウェルビーイングを高めるという考え方です。
「創造的な活動」には、いわゆるアートや音楽だけでなく、料理、手芸、園芸、日記を書くこと、写真を撮ることなど、日常の中の「つくる」行為も含まれます。
特別な才能や技術は必要ありません。大事なのは、自分で何かを創り出すプロセスそのもの。うまくできるかどうかは、実はあまり関係ないんです。
2017年イギリスAPPG報告書
「クリエイティブヘルス」という言葉が広く知られるようになったきっかけは、2017年にイギリスで発表された報告書です。
「Creative Health: The Arts for Health and Wellbeing」
イギリス議会の超党派グループ(All-Party Parliamentary Group on Arts, Health and Wellbeing)が、2年間の調査をまとめたもの。患者、医療従事者、アーティスト、研究者、政策立案者など、幅広い関係者からの声を集めました。
この報告書は、芸術や創造的活動が健康に与えるポジティブな影響について、包括的なエビデンスを示した政策提言として大きな反響を呼びました。
報告書のメッセージはシンプルです。
芸術は、高齢化、長期的な疾患、孤独、メンタルヘルスといった現代社会の主要な健康課題に対応できる。そして、医療費の削減にも貢献できる可能性がある。
似た概念との違い・関係
クリエイティブヘルスと似た言葉がいくつかあります。整理しておきましょう。
社会的処方(Social Prescribing)
薬ではなく、社会資源につなげる仕組み。
医師やリンクワーカーが、患者を地域の活動やサービスに紹介します。イギリスではNHSの政策として制度化されています。

芸術文化的処方(Arts on Prescription)
社会的処方のうち、アートや音楽に特化したもの。
美術館プログラム、音楽ワークショップ、合唱グループなど、芸術活動を通じた健康支援です。

文化的処方(Cultural Prescription / Prescribing)
文化全般を通じた健康支援。
芸術だけでなく、文化施設への訪問、伝統行事への参加なども含む、より広い概念です。
アートセラピー / 音楽療法
専門家が介入する心理療法の一種。
資格を持った専門家(アートセラピスト、音楽療法士など)が、治療目的で芸術を用いるアプローチです。多くの国で、公的な資格や登録制度が設けられています。
クリエイティブヘルスとの大きな違いは、専門家の介入があるかどうか。アートセラピーは臨床的な治療であり、クリエイティブヘルスは日常の中で誰でもできる活動を指します。
クリエイティブヘルスは、これらの中でもかなり広い枠組みとして用いられています。
専門家によるセラピーから、日常の中で一人でできる活動まで、創造性を通じた健康全般をカバーする概念です。
なぜ創造性が健康に効くのか
「絵を描いたら元気になる」と言われても、ピンとこないかもしれません。
でも、これには科学的な根拠があります。
フロー状態
絵を描いているとき、楽器を弾いているとき、何かに没頭しているとき——時間を忘れた経験はありませんか?
この状態を心理学ではフロー状態(Flow State)といいます。
1970年代に心理学者のミハイ・チクセントミハイが提唱した概念で、「ゾーンに入る」と表現されることもあります。
フロー状態に入ると、脳内でいくつかの変化が起きると考えられています。
- 前頭前皮質の活動が一時的に弱まる:自己批判や過度な自意識が和らぐ
- 報酬系が活性化する:快感や没頭感が高まる
- ストレス反応が低下する:身体がリラックスモードに近づく
つまり、創造的な活動に没頭することで、脳がストレスから回復しやすい状態に入ると考えられています。
自己効力感
何かを「つくる」という行為には、達成感が伴います。
「自分にもできた」という感覚。これを心理学では自己効力感(Self-efficacy)といいます。
自己効力感が高まると、自信がつき、新しいことにチャレンジする意欲が湧いてきます。逆に、自己効力感が低いと、「どうせ自分には無理」という思考パターンに陥りやすくなります。
創造的な活動は、小さな成功体験を積み重ねる機会を与えてくれます。うまくできなくても、「とにかくやってみた」という事実が、自己効力感につながります。
社会的つながり
創造的な活動は、人とのつながりを生むこともあります。
合唱グループに参加する。編み物のサークルに入る。写真のワークショップで隣の人と話す。
「好き」を共有できるコミュニティは、強制されたつながりとは違います。同じものに興味を持つ人同士だから、自然と会話が生まれる。
孤立や孤独は健康リスクですが、創造的な活動はそれを防ぐ手段にもなります。
感情の表現と処理
言葉にできない感情を、絵や音楽や身体の動きで表現する。
これは、感情を外に出し、整理するプロセスでもあります。
特に、つらい経験やトラウマを抱えている人にとって、創造的な表現は言葉以外の出口になることがあります。もちろん、深刻なケースは専門家のサポートが必要ですが、日常レベルでも「なんとなくモヤモヤする」を絵にしてみる、といった行為には意味があります。
エビデンス:WHO報告書(2019年)
クリエイティブヘルスには、科学的なエビデンスもあります。
2019年、WHO(世界保健機関)のヨーロッパ地域事務局が画期的な報告書を発表しました。
「What is the evidence on the role of the arts in improving health and well-being? A scoping review」
この報告書は、3,000以上の研究を分析した、芸術と健康に関する最も包括的なレビューです。
主な発見をまとめます。
予防と健康増進
- 芸術への参加は、うつ病や認知機能低下のリスク軽減と関連があることが示唆されている
- 子どもの発達、メンタルヘルス、健康行動の改善に寄与する可能性がある
- 社会的結束やコミュニティの健康を促進する可能性がある
治療とケア
- 音楽は、手術前の患者の不安軽減と関連があることが確認されている
- 芸術活動は、認知症患者の症状緩和や生活の質の向上に寄与する可能性がある
- がん患者、慢性疾患患者、終末期ケアにおいても、芸術が果たす役割が示唆されている
WHO報告書の提言
報告書は、政策立案者に向けて以下の提言をしています。
- 芸術が健康に与えるエビデンスを認識し、活用すること
- 芸術へのアクセスを、特に社会的に不利な立場にある人々に広げること
- 文化セクターと医療・福祉セクターの連携を進めること
芸術と創造性は、健康政策の一部として真剣に検討されるべきだ——これがWHOのメッセージです。
どんな活動が含まれるのか
クリエイティブヘルスに含まれる活動は、幅広いです。
音楽
- 聴く:好きな音楽を意識的に聴く、コンサートに行く
- 演奏する:楽器を弾く、歌う、カラオケ
- 一緒にやる:合唱、バンド、セッション
美術・アート
- 観る:美術館、ギャラリー、写真展
- つくる:絵を描く、陶芸、写真を撮る、コラージュ
身体を使う
- 踊る:ダンス、フリームーブメント
- 演じる:演劇、インプロ(即興)
手仕事
- 編み物、刺繍
- DIY、木工
- 園芸、ガーデニング
書く
- 日記、ジャーナリング
- 詩、物語、ブログ
日常の中の創造性
- 料理を「作品」として作る
- 部屋の模様替え
- プレイリストを作る
- 写真を撮って編集する
大事なのは、「うまくやること」ではなく「やってみること」です。
上手い下手は関係ありません。プロセスそのものに価値があります。
今日から始められること
クリエイティブヘルスは、特別な場所やプログラムがなくても、今日から自分で始められます。
小さく始める
- 5分だけ絵を描いてみる
- 今日あったことを3行だけ書く
- 好きな曲を1曲、ちゃんと聴く
最初から大きなことをする必要はありません。小さな「つくる」を日常に入れるだけでOK。
「うまくやろう」としない
創造的な活動で一番大事なのは、結果より過程。
「うまく描けなかった」「音が外れた」「文章がまとまらなかった」——それでいいんです。やったこと自体に意味があります。
自分を評価する必要はありません。ただ、手を動かす。それだけで十分。
誰かと一緒にやる
一人でやるのもいいですが、誰かと一緒にやると、また違った効果があります。
- ワークショップに参加する
- 友達と一緒に何かを作る
- オンラインのコミュニティに入ってみる
「好き」を共有できる場所があると、孤立感も減ります。
習慣にする
週に1回でも、月に1回でもいいので、創造的な活動を習慣にしてみてください。
毎週日曜日に絵を描く。毎晩寝る前に日記を書く。月に1回は美術館に行く。
習慣になると、それが自分を支える「居場所」のようなものになっていきます。
まとめ
クリエイティブヘルスは、日常の中の創造性を通じて、心身の健康を高める考え方です。
- 2017年イギリスAPPG報告書で広く知られるようになった
- 社会的処方やアートセラピーと関連するが、より広い概念
- フロー状態、自己効力感、社会的つながりなど、科学的な根拠がある
- WHOも2019年の報告書で、芸術が健康に与える影響を認めている
- 特別な才能は必要ない。小さな「つくる」を日常に入れるだけでいい
創造性は、特別な人のものじゃない。
誰の中にもある。
料理を少し工夫してみる。写真を撮ってみる。日記を書いてみる。好きな曲をちゃんと聴いてみる。
そんな小さなことから始めてみませんか?
BooPicksでは、映画、音楽、アート、イベント——日常の中で創造性に触れるきっかけを、これからも紹介していきます。
芸術・健康・ウェルビーイングに関する超党派議員連盟(英国)調査報告書 『クリエイティブ・ヘルス:健康とウェルビーイングに寄与する芸術活動(要約版)』<日本語版>

この記事は編集部が作成しました。
参考文献・エビデンスについては、各研究論文・報告書を参照しています。

