芸術文化的処方ってなに?(Arts on Prescription)|はじめての方へ

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はやさ
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なんとなく元気が出ない日。理由はわからないけど、胸がざわざわする夜。

そんなとき、ふと映画を観たり、好きな音楽を聴いたりして、少しだけ楽になった経験はありませんか?

その感覚には科学的な裏付けがあるんです。

芸術文化的処方(Arts on Prescription)という考え方があります。

イギリスで始まり、今では世界中に広がっているアプローチ。難しそうに聞こえますが、やっていることはとてもシンプルです。

文化に触れて、ちょっと元気になる。

それだけのことを、真剣に、医療や福祉の現場で取り入れる動きが始まっています。

目次

芸術文化的処方ってなに?

定義

芸術文化的処方は、英語で「Arts on Prescription」。直訳すると「処方箋としてのアート」です。

具体的には、アート、音楽、演劇、ダンス、読書などの文化芸術活動を通じて、心身の健康やウェルビーイング(幸福感)を支えるアプローチのこと。

イギリスでは2006年頃から注目され、2016年以降は国民保健サービス(NHS)の政策として全国に広がりました。日本でも2020年代に入って、少しずつ知られるようになってきています。

ポイントは、「医療の代わり」ではなく「医療と並行して」使うということ。

薬や治療を否定するのではなく、それと一緒に、文化に触れることで回復を助けたり、そもそも病気になりにくい心身をつくろうという発想です。

社会的処方との関係

芸術文化的処方を理解するには、まず「社会的処方(Social Prescribing)」という概念を知っておくといいですよ。

社会的処方とは、薬ではなく「社会資源」を処方するという考え方。

たとえば孤立している高齢者がいたとします。「眠れない」と病院に来るけど、本当の不調の原因は日中ずっと一人でいることかもしれません。そんなとき医師が、地域のコミュニティ活動やボランティア、趣味のグループを紹介する。人とのつながりができて、結果的に眠れるようになる——そんなイメージです。

社会的処方には、いろんな種類があります。

種類内容
グリーン処方園芸、自然活動
運動処方スポーツ、ウォーキング
芸術文化的処方アート、音楽、演劇など
コミュニティ処方地域活動、ボランティア

芸術文化的処方は、この社会的処方の中でも芸術・文化に特化した分野ということになります。

「文化的処方」との違い

似た言葉に「文化的処方(Cultural Prescribing)」があります。

文化的処方は、より広い概念。美術館に行く、お祭りに参加する、伝統文化に触れるなど、文化全般を通じた健康支援を指します。

芸術文化的処方は、その中でも特に芸術活動(創作・鑑賞・参加)に焦点を当てたものです。

用語範囲
社会的処方一番大きい傘。すべての非医療的支援
文化的処方文化全般(施設、伝統、イベント含む)
芸術文化的処方芸術に特化(アート、音楽、演劇など)

日本ではまだ用語が定まっていませんが、この記事では「芸術文化的処方」を中心に話を進めていきますね。

※「芸術文化的処方(Arts on Prescription)」と「文化的処方(Cultural Prescribing)」の定義は、研究者や国によって使い分けが曖昧な場合があります。今回は、「芸術特化型(Arts)」と「文化全般(Cultural)」として整理しましたが、これらが混ざって語られることも多く、同じ意味を持つこともあります。

なぜ芸術や文化が心身に効くのか

「アートを観たら元気になる」と言われても、ピンとこない人もいるかもしれません。

でも実は、これには科学的な根拠があるんです。

ストレスホルモンが下がる

2025年、Art Fund(イギリスの芸術支援団体)とキングス・カレッジ・ロンドンが発表した研究があります。

コートールド美術館でマネやゴッホの絵画を鑑賞した人と、同じ絵の複製を別の場所で見た人を比較。結果、本物のアートを美術館で観たグループは、ストレスホルモン(コルチゾール)が平均22%低下しました。一方、複製を見たグループは8%しか下がりませんでした。

さらに驚くべきことに、アート鑑賞は免疫系、内分泌系、自律神経系という3つの身体システムを同時に活性化させたました。

研究者のTony Woods博士はこう語っています。

「アートは私たちを感情的に動かすだけでなく、身体も落ち着かせる」

音楽はなぜ心を整えるのか

音楽についても、多くの研究があります。

2025年にJMIR Mental Healthに掲載されたスコーピングレビューでは、音楽を聴くことで心拍変動(HRV)が改善し、コルチゾールレベルが低下することが確認されました。自分で選んだリラックスできる音楽が、特に効果的だといいます。

また、音楽を「聴く」だけでなく「演奏する」ことにも効果があります。楽器を演奏することで脳の構造そのものが変化し、感情調整能力が高まることがわかっています。自然の音、川のせせらぎや森の音も、音楽と同様のストレス軽減効果があるといわれています。

美術館に通うと、うつになりにくい

イギリスの大規模調査(Fancourt & Tymoszuk, 2019)によると、50歳以上で数ヶ月に1回以上美術館に通う人は、そうでない人に比べてうつ病を発症するリスクが最大32%低かったとのこと。月1回以上通う人は、48%も低下。

また、高齢者の認知機能低下や認知症のリスク軽減にも、文化施設への訪問が関係しているという報告もあります。

観るだけじゃない。「する」ことの力

ここまでは「鑑賞」の話でした。でも、芸術文化的処方の本当の力は、自分で「する」ことにもあります。

絵を描く。楽器を演奏する。踊る。演じる。歌う。

「観る」のは受け身ですが、「する」のは能動的。身体を使い、感情を表現し、何かを創り出す。このプレイヤーとしての体験には、鑑賞とはまた違う効果があるんです。

演じることの効果

演劇には「役を演じる」という独特の力があります。

自分とは違う誰かになってみる。その人の人生を想像し、その人として感じ、その人として話す。

この体験を通じて、自分自身を客観的に見つめ直したり、普段は抑えている感情を安全に表現したりできます。演じている「役」という器があるからこそ、本当の自分を出せることがあるんです。

ワークショップ形式の演劇プログラムでは、参加者の自己肯定感や対人スキルが向上したという報告もあります。

踊ることの効果

ダンスは、身体と心を同時に動かす活動です。

言葉にできない感情を、身体で表現する。音楽に合わせて動くことで、思考がストップし、「今ここ」に集中できる。

高齢者のダンスプログラムでは、身体機能の維持だけでなく、社会的孤立の軽減やメンタルヘルスの改善が報告されています。上手い下手じゃなく、「動く」こと自体に意味があります。

演奏すること・歌うことの効果

楽器を演奏したり、歌を歌ったりすることにも、独自の効果があります。

楽器を演奏することで脳の構造そのものが変化し、感情調整能力が高まることがわかっています。これは聴くだけでは得られない効果です。

合唱についても研究が進んでいます。イギリスの「Singing for the Brain」は認知症の人向けの合唱プログラムですが、歌うことで記憶を刺激し、人とつながり、気分が向上することが確認されています。

一人で歌うのもいいですが、誰かと一緒に歌うと、さらに効果が高まるそうです。声を合わせることで、一体感や帰属意識が生まれるんですね。

「没頭」が心を回復させる

絵を描いたり、楽器を弾いたり、何かを創作しているとき、時間を忘れることがありませんか?

この状態を心理学では「フロー状態」といいます。雑念が消え、今ここに集中している状態。フロー状態に入ることで、ストレスから回復し、心がリセットされます

創作活動のいいところは、上手い下手が関係ないこと。プロのアーティストでなくても、自分なりに手を動かしているだけで、フロー状態に入れます。

大事なのは「うまくやろう」とすることじゃなく、プロセスそのものを楽しむことです。

つながりと居場所

芸術文化的処方のもう一つの効果は、人とのつながりが生まれること。

合唱グループに参加する。読書会に行く。アートワークショップで隣の人と話す。演劇ワークショップで一緒に即興をやる。

「好き」でつながるコミュニティは、強制されたつながりとは違います。同じものに心を動かされた人同士だから、自然と居場所ができるんです。

イギリスのArts on Prescriptionプログラムの参加者調査では、孤独感の軽減、自己肯定感の向上、社会的つながりの増加が報告されています。


どんな種類があるのか

芸術文化的処方は、ひとつのやり方ではありません。いろんな形があります。

音楽

聴く プレイリストを作る、コンサートに行く、好きなアーティストの新譜をちゃんと聴く

演奏する・歌う 楽器を習う、カラオケで歌う、ギターを弾く、鼻歌を歌う

みんなで 合唱、バンド、セッション、カラオケ大会

イギリスでは「Singing for the Brain」という、認知症の人向けの合唱プログラムがあります。歌うことで記憶を刺激し、人とつながる場になっています。

美術・アート

観る 美術館、ギャラリー、写真展、街中のアート

つくる 絵を描く、陶芸、写真を撮る、コラージュ、デジタルアート

語る アートについて対話する、感想を言い合う

「Museums on Prescription(美術館処方)」は、イギリスで広がっているプログラム。医師やリンクワーカーが、患者に美術館プログラムへの参加を紹介します。

演劇・ダンス

観る 舞台、ミュージカル、映画、ダンス公演

演じる 演劇ワークショップ、インプロ(即興)、朗読、ロールプレイ

踊る ダンスクラス、社交ダンス、フリームーブメント、好きな曲で部屋で踊る

演劇やダンスは「身体を使う」のがポイントです。頭だけでなく、全身で表現することで、言葉にならない何かが解放されることがあります。

読書(ビブリオセラピー)

読書療法とも呼ばれます。特定の本を読むことで、心理的な変化を促すアプローチです。

メタ分析によると、読書療法は軽度から中等度のうつ病に効果があり、その効果は持続的だそうです。イギリスのNHSでは、うつや不安に対する治療のひとつとして読書療法が推奨されています。

「Reading Well」というプログラムでは、図書館と医療が連携。医師が患者に特定の本を「処方」し、図書館で借りられる仕組みになっています。

日常の小さな創造性(クリエイティブヘルス)

もう一つ、知っておきたい概念があります。クリエイティブヘルス(Creative Health)です。

2017年、イギリス議会の超党派グループ(APPG)が「Creative Health: The Arts for Health and Wellbeing」という報告書を出しました。2年間の調査をまとめたもので、芸術が健康とウェルビーイングに与える影響についての包括的なエビデンスが示されています。

クリエイティブヘルスは、「芸術文化的処方」よりも広い概念。日常の中で創造性を発揮すること全般を指します。

たとえば:

  • ハンドメイドや編み物
  • 料理をクリエイティブに楽しむ
  • 部屋の模様替え

想像力を使って日常を「編集」する。それだけで、気分って変わるんです。

これは、ジュリア・キャメロンが『ずっとやりたかったことを、やりなさい』で提唱した「アーティストデート」にも通じます。週に一度、自分を「デート」に連れ出す。美術館でもいいし、一人で散歩でもいい。自分の中の創造性を育てる時間をつくるんです。

芸術文化的処方が「医療と連携したプログラム」だとすれば、クリエイティブヘルスは誰でも今日から始められる、日常の中のセルフケアです。


イギリスではどう実践されているのか

芸術文化的処方の先進国といえば、イギリスです。

具体的にどんな仕組みで動いているのか、見てみましょう。

NHSと社会的処方

イギリスの国民保健サービス(NHS)では、2019年から全国的に社会的処方を推進しています。

仕組みはこんな感じです。

  1. GP(かかりつけ医)が、患者の問題が「薬だけでは解決しない」と判断
  2. リンクワーカー(社会的処方の専門スタッフ)に紹介
  3. リンクワーカーが患者と対話し、地域の活動やプログラムにつなげる
  4. 患者が活動に参加し、回復していく

芸術文化的処方の場合、「地域の活動」がアートワークショップや美術館プログラム、合唱グループなどになります。

具体的なプログラム

Museums on Prescription
医師が患者に美術館プログラムへの参加を「処方」します。ガイドツアーやアート制作ワークショップに参加。孤立している高齢者や、メンタルヘルスの課題を抱える人が対象になることが多いです。

Singing for the Brain
アルツハイマー協会が運営する、認知症の人とその家族のための合唱プログラム。歌うことで脳を刺激し、社会的つながりを維持します。

Reading Well
NHSと図書館が連携。うつや不安に効果があると認められた本のリストがあり、医師が「処方」できます。患者は図書館で無料で借りられます。

Arts on Prescription(各地域の取り組み)
地域ごとに、さまざまなArts on Prescriptionプログラムがあります。多くは8〜12週間のコースで、週1回、グループでアート活動に参加する形式です。

効果のエビデンス

2024年に発表されたシステマティックレビュー(Jensen et al., Frontiers in Public Health)では、25の研究を分析しました。結果、Arts on Prescriptionプログラムは、参加者のウェルビーイングを統計的に有意に改善することが確認されています。

また、イギリス南西部で行われた縦断研究(Sumner et al., 2021, Public Health)では、Arts on Prescriptionに参加した人の不安、うつ症状が有意に改善し、ウェルビーイングが向上しました。しかも、複数の健康問題を抱える人(多疾患併存)でも効果があったんです。

若者向けの研究もあります。学校でArts on Prescriptionワークショップを実施したところ、13〜16歳の生徒のメンタルウェルビーイングとレジリエンス(回復力)が向上しました(Bungay et al., 2021, Public Health)。


今日から始められる芸術文化的処方

ここまで読んで、「医療と連携したプログラムなんて、自分には関係ない」と思った人もいるかもしれません。

でも、芸術文化的処方の本質は、文化に触れて元気になること

プログラムに参加しなくても、今日から自分でできることはたくさんあります。

観る

  • 映画を1本、ちゃんと観る(スマホを置いて)
  • 美術館に行く(何も考えず、ただぼーっと絵を見る)
  • 演劇やライブに行ってみる
  • 写真集をめくる

何を観るかより、「観る」という時間をつくることが大事です。

聴く

  • 好きな音楽を、ちゃんと聴く
  • 新しいジャンルを開拓してみる
  • ライブやコンサートに行く
  • 自然の音を聴きに行く

研究によると、自分で選んだ音楽が最も効果的だそうです。誰かに薦められた曲より、自分が好きな曲を。

つくる

  • 絵を描く、文章を書く、写真を撮る
  • 料理を「作品」だと思って作る
  • ハンドメイド、DIY
  • 何か一つ、完成させる

上手い下手は関係ありません。手を動かしている時間そのものに意味があります。

演じる・踊る・歌う

  • 好きな曲で部屋で踊ってみる
  • お風呂で歌う、カラオケに行く
  • 演劇ワークショップに参加してみる
  • 朗読してみる

身体を使って表現すること。これは「観る」だけでは得られない体験です。やってみると、意外と気持ちいいですよ。

あそぶ

  • アーティストデート:週に一度、自分をどこかに連れ出す
  • 「もし〜だったら」と想像しながら日常を過ごす

これは「ごっこ遊び」の大人版。想像力を使って、現実をちょっとだけ書き換えます。誰にも迷惑かけないし、お金もかかりません。


大切なのは「楽しい」から始めること

最後に、一つだけ伝えたいことがあります。

芸術文化的処方について学ぶと、「これは〇〇に効く」「この活動はウェルビーイングを向上させる」みたいな情報がたくさん出てきます。

でも、「効くから」やるのは、ちょっと違うと思うんです。

効能を求めて美術館に行っても、たぶんあんまり楽しくない。義務になったら本末転倒です。

大事なのは、「好き」とか「楽しい」とか「面白い」から始めること

映画が好きなら映画を。音楽が好きなら音楽を。踊るのが好きなら踊る。歌うのが好きなら歌う。何かを作るのが好きなら作る。特に好きなものがなければ、いろいろ試してみる。

結果的に、心身が整っていた——それくらいがちょうどいいのではないでしょうか。


まとめ

芸術文化的処方は、「文化に触れて元気になる」こと。

  • イギリスで始まり、世界中に広がっている
  • 医療の代わりではなく、医療と並行して使う
  • 音楽、アート、演劇、読書、日常の創造性——いろんな形がある
  • 「観る」だけでなく「演じる」「踊る」「歌う」にも大きな効果がある
  • 科学的なエビデンスも積み重なってきている
  • そして何より、今日から自分で始められる

BooPicksは、この考え方をベースに、映画、音楽、アート、そして日常の小さな遊びまで——「人生ってちょっと面白いかも」を集めていきます。

難しく考えなくていいんです。

まずは、好きな映画を観よう。好きな音楽を聴こう。気が向いたら踊ってみよう。

文化は、人生にいい。


この記事は編集部が作成しました。
参考文献・エビデンスについては、各研究論文・報告書を参照しています。

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